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済州の変貌、そして在日外国人の変貌と変わらないこと
「オシャレなカフェもでき、済州島もすっかりかわりましたね」
2011.11.03 (木) 高正子 contributor@jejujapan.com

       マンナメ(出会いの)広場      
* 済州島出身、あるいはその後裔の人たちへのインタビュー 

 去る10月8日、コリアNGOセンター(特定非営利法人:http://korea-ngo.org)の事務局長である金光敏(キムグァンミン)さんと会って話を聞いた。「オシャレなカフェもでき、済州島もすっかりかわりましたね」これが彼の第一声であった。 金さんのお祖父さんは済州島の東南に位置する西帰浦市の三達里の出身で、植民地期に日本に渡った。三世である金さんは、高校卒業後韓国へ留学したときにお祖父さんの故郷である済州島を初訪問して以来、折を見て墓参りに通っている。今年の9月、2年数ヶ月ぶりに墓参りに行った金さんは、何の変哲もなかった田舎の山里がすっかり変わっているのを見てびっくりしたそうだ。近年になって済州島は自然景観を利用した17の散策コースとサイクリングコースを設け、エコ観光をキャッチフレーズに国内外の観光客の人気を博している。そのコースに組み入れられた三達里にも2年前には想像もできなかった「オシャレなカフェ」ができ、素朴で野暮ったかった山里がすっかり近代的に様変わりしたというのである。
     
   
▲ (上から) 在日外国人子弟の教育問題について熱く語る金光敏さん。国政レベルでの理解を得るため、日本の国会議員を民族学級の現場視察に招聘。去る9月7日に行われた石川博崇参議院議員(公明党)による中川小学校民族学級視察風景。撮影:高正子 写真提供: 金光敏

「僕の周りには指のない大人が多かった」

金光敏さん教育問題や「民族学級」の制度保障の問題を主に担当している。戦後いち早く在日コリアンは、子どもたちに朝鮮語の教育権を保障しようと「朝鮮人学校」を設立するが、当時の連合国軍総司令部(GHQ/SCAP)は閉鎖を命じ、閉鎖撤回を求める運動を展開した(4・24阪神教育闘争:1948年)。当時、日本国籍を有していたコリアンは、学校(学校教育法1条に明記されている)へ就学させる義務があったため「朝鮮人学校」閉鎖後、子どもたちを日本の公立学校へ就学させた。学校現場では混乱が起り、この状況を打開するために行政とコリアン側が交渉し、放課後に「民族学級」開設を盛り込んだ「覚書」が交わされた。民族文化や歴史を学ぶ教育が、日本の公立学校で始まったのだ。これは同時に、日本での外国人の子どもたちの自文化教育の始まりでもあった。このようなコリアンの努力によって勝ち取った教育権も、その後の日本社会での厳しい差別や偏見のなかで有名無実化していく。33校あった「民族学級」は1985年には7校までに減っていった。
     
1971年生まれの金光敏さんが義務教育を受けていた時期、多くの在日コリアンの子どもたちは「自分が何ものであるのか」に悩んでいた。そして、自己を肯定的に受け止めることができず、劣等感に苛まれていた。貧困に喘ぎ、将来に対する明るい希望も持ち得なかった。金さんは子ども頃のことを思い出し、「僕の周りには指のない大人が多かった」と話す。例えば「アボジ(父)もチャグンアボジ(叔父)、コモブ(叔母の夫)も指がなかったね」と。高度経済成長を謳歌する日本経済の底辺で最も危険な仕事を担っていたのは在日コリアンたちであった。特に、生野区はプラスチック成形のような危険な仕事に従事する人が多く、機械に指を挟んで切り落とすケースが頻繁だった。金さんの通っていた中学校(生野区)では運動場の真ん中にいつも大阪府警のパトカーが陣取っていたという。生徒たちが暴れて先生たちの手には負えず、学校が警察に依頼した。「暴れる生徒は、散髪屋の息子一人を除いて全部朝鮮人だった」。


「ニューカマーの子どもたちのことは他人ごとではない」

金光敏さんは韓国留学から帰ってきて、在日コリアンの子どもたちの教育権を獲得する仕事についた。この間、大阪の在日コリアンと日本人たちの努力によって、多くの公立学校で民族の文化や歴史を学ぶ機会が少しずつ保障されつつある。しかしその一方で、過去に在日コリアンが味わった痛みが、今日のニューカマーの子どもたちに再現されている。

日本政府はかつて外国からの単純労働者受け入れを認めていなかったが、1990年にバブル景気を背景に経済界の外国人労働者の受け入れ要求に配慮し、入管法の改正を行なった。日系三世までに限定しては就労可能な「定住」資格を与えたのである。主にブラジル、ペルーなどの中南米諸国の日系人の来日が可能になり、外国人労働者として日本経済を底辺で支えた。日本政府にとって日系人イコール日本人であり、文化的摩擦はないと思い込んでいたのである。ところが現実には、ポルトガル語しかできない日系人は日本人とは全く違う文化を身に付けている。文化摩擦は子どもたちに深刻な問題として現れた。日本の学校に通えない子どもたちが増加した。日本で生まれた子どもたちは家庭内で話す程度のポルトガル語しか話せず、現地語である日本語も十分に話せないという(ダブル・リミテッド)の状態におかれている。金光敏さんはこのようなニューカマーの子供たちの状況を「生死に関わる問題」だという。彼の目には、「ニューカマーの子どもたちのことは他人ごとではない」。「登場人物が在日コリアンから中国や東南アジア、ブラジルからやってきた人々に代わっただけで、日本社会は何ら変わっていない」という。
   
現在、金光敏さんが最も力を入れて取り組んでいるのが滋賀県の近江八幡にあるブラジル人学校の各種学校認可問題である。ブラジル人学校は子どもたちの不就学状況を解決すしようとする当事者たちの努力によって設立された。全国に80校のブラジル学校が設立され、その内で12校だけが各種学校の認可を受けている。2007年のリーマンショック以降の世界的な景気後退は、日本にいるブラジル人労働者にも影響を与え、真っ先に職場を追われたのが彼らであった。学費が払えなくなる人たちが続出し、経営困難に陥る学校が増えた。そうした窮境を打開するために、金さんは忙しい最中にもブラジル学校を頻繁に訪れるなど、奔走している。その努力が報われることを期待したい。

取材・文   高正子  contributor@jejujapan.com 
 

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