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牛島、観光(文化遺産、自然景観)と現実
2012.06.18 (月) 玄善允 contributor@jejujapan.com

   
▲ 牛島の全景    撮影:玄善允

済州島の東端、世界文化遺産で有名な城山日出峰の近海に、まるで牛が横たわっているかのような細長い島が浮かんでいる。その牛島をまたしても訪れてみた。今回で6回目である。先ずは、友人たちと10年間に亘って毎年恒例行事だった済州一周サイクリングの一環として、日本から飛行機で済州に持ち込んだ自転車を、さらに城山港から牛島までフェリーで運びこみ、一周サイクリングを3回。ついでは、妻と一緒に、タンデム自転車を借りて、ペダルを漕ぐリズムを合わせる難しさと風とに多いに苦しめられた。さらには、長女を連れて、初めて徒歩で一周を試みたのだが、大いに冷や汗をかく羽目に。一周がせいぜい7、8キロ、2時間ほどで一周のつもりが、いくら懸命に歩いても済州本島への最終の船便に間に合いそうもなくなった。そこで、路脇で洗車中の若い男性に助けを求めたところ、彼も遊びに本島に出かけるところというので、便乗させてもらって城山の宿まで送ってもらった。彼の話では一周が13キロ、速足でも3時間の距離だったのである。

ところで何故、僕がそこへ何度も足を運ぶのか。たかが15分ほどでも、船上で風に吹かれながら済州本島と牛島を眺めていると、なんとも言えない旅情がある。しかしそれ以上に、「真裸で海と風とに曝された地の果て」という強烈な印象の故である。済州に関する「酷薄な自然環境」といった常套句がごく短時間で実感できる所なのである。

   
▲ 牛島のプルトク(海女さんの休憩場) 撮影:玄善允
海岸の果てと丘の上にそれぞれ孤独に立っている二つの灯台、海辺の防邪塔、白砂で有名な2か所の海水浴場、沿海の随所で作業中、或いは海辺で団らん中の海女さんたちの姿、時代につれての変遷が一目で分かる数種類のプルトク(海女さんの休憩場)、石垣で囲まれた小さな畑、随所にある土饅頭(墓)、巫俗の聖所である各種の堂、昔は唯一の水源であった湧水池、港に立つ海女の抗日闘争紀念塔、そして、伝説の島にふさわしく、鯨が住んでいたと伝えられている断崖絶壁の下のえぐれた淵もしくは洞穴。

さて、今回僕はタクシーを拾って城山港へ向かったのだが、なんと偶然なことにその運転手さんが牛島出身、僕はこの僥倖を逸するわけにはいかないと、予定を変更してそのままタクシーで島に渡るなど全行程をタクシーで回り、願ってもない運転手兼案内人のおかげもあって思わぬ「観光」ができた。以下、そんな幸運を読者の皆さんにも「おすそ分け」してみたい。

▲ 海女の島として有名な牛島では、嫁いだ女性は今でも殆ど例外なく海女仕事をする。海女の経験がなくても、島の男性に嫁げば、海女仕事をしないわけにはいかない。だから、牛島では他地域と比べると年齢層が低く、30代の海女さんもいる。但し、海女仕事は女性の専売特許なのではなくて、その運転手さんは10歳ごろから、お母さんの海女仕事を手伝っていた。ついでに言えば、海女とくれば、共同体の絆である巫俗祭「クッ」の話を欠かすわけにはいかないのだが、彼のお母さんはカトリック教徒でありながらも、その「クッ」に毎年一回は参加している。やはり海女の共同体の絆、もしくは束縛は格別のものらしい。

▲ 牛島では様々な文化遺産の保存・案内表示などが行き届き、観光客にとっては実に便利なのだが、それに絡んでの内輪話。たとえば、昔は島の各集落ごとにあった防邪塔を再建して観光コンテンツとして村の活性化に利用しようと話があるという。防邪塔は元来、老若男女を問わず、集落の全戸から石を持ちよって、共同体全員の願いを込めて積まれていたものなのだが、今や、お金を出し合って業者に委託する。そこで投資の費用対効果が議論になって進まないというのである。そういう事実を耳にして、僕ら外部の人間はついつい文化遺産、歴史遺産の形骸化、金銭化を批判したり冷笑したくなるのだが、そもそもそんな資格があるはずもなかろう。観光とは自然、文化資源を現地の人々がどのように理解し加工し活用しているのかを見ること、或いは、観光産業が観光客たちと現地の人々をそのように仕向けている現場を体験するという側面もあるわけである。

▲ 牛島は済州でもとりわけ地縁血縁意識が色濃く残っていると言われているのだが、その牛島でも、「外部」の人々の参入が著しいという。たとえば、運転者さんが案内してくれた食堂も主人は大邱の人だった。その店の売り物が、アワビ入りジャジャン麺と、牛島名産のピーナッツのアイスクリーム。今や牛島名産とされているピーナッツも、牛島で生産されだしたのはそれほど古い話ではない。また、商売にいい場所は殆ど外部の人々が購入して観光産業で成功しており、観光で元来の牛島住民が潤っているなんて例は多くないという。済州本島で起こっていることがここでも起こっており、その縮小版といった按配。

▲ 牛島では済州本島のことを「陸地」と呼ぶ。これは済州の人々が本土を指す言葉であって、なるほど島に住む人々はそのようにして、中心に対する辺境としての自分の位置を確認しているのだなあ、と改めて思い知った。牛島の人々にとっては、中心は済州本島というわけであり、因みに運転者さんは中学までは牛島で、その後は済州本島の城山の水産学校に進み、城山で下宿(自炊)生活をしていたという。

▲ 以下は真偽定かではない話なのだが、ジャジャン麺の定番の付け合せ「タクアン」を牛島では昔「コウコウキムチ」と呼んでいたという。コウコウとは、昔僕らが大阪でタクアンを指して用いていた言葉に似ている。ひょっとしたら、大阪から牛島もしくは済州全島に伝えられた言葉ではないのだろうか。牛島に限らず済州が昔から大阪と因縁が強いところであったからと、済州にルーツを持つと同時に正真正銘の大阪人間である僕は、このようにあらゆるきっかけを用いて、大阪と済州とを繋ぎ合わせて絆を感じるべく努めるのだが、これについては今後、確認してみなくてはなるまい。宿題を抱えて帰るのも旅の楽しみ!?

▲ アクセスも観光施設の設備も十分に整い、済州の自然と文化を味わえる短時間で感得できる牛島に是非とも!


玄善允
1950年、済州島出身の在日朝鮮人を両親として大阪に生まれ、大阪大学及び大阪市立大学大学院にて仏語・仏文学を学び、日本の京阪神の諸大学にて仏語仏文学を講じる。フランス文学以外の著書・論文としては、在日論として『「在日」の言葉』その他があり、済州関連では「龍王宮再考―聖性を欠いた場における祈りと孤立した共同性」その他がある。済州大学校耽羅文化研究所特別研究員、大阪経済法科大学アジア研究所客員教授。

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