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済州の海村での生活に学ぶ(3)
2012.06.14 (木) 伊地知紀子 contributor@jejujapan.com

2012年5月25日、済州大学校に「在日済州人センター」がオープンする。済州島から日本へ移動した人びとの軌跡、その生き様が展示される。植民地期から現在まで、さまざまな時期に渡日し日本で生きてこられた方々の済州島への思いは、村々を巡るうちにも目に入ってくる。

村々の中を歩くと「ポンナン」(「エノキ」を意味する「ペンナム」の済州語)という木のそばや、村の子どもたちが通う小学校などには、在日同郷者の寄付による「校地拡張」や「電化事業」の功徳碑が建立されている。1997年済州道発行の『済州実録』によれば、在日金寧里出身者が金寧中学校へ顕微鏡を寄付したという『済州新報』の1958年12月16日付の記事が最も早い時期のものである。その後も、村々へのさまざまな寄付の記事が見られる。先の功徳碑は、こうした寄付を顕彰するものであり、日本に暮らす済州島出身者が抱いてきた思いを現在へ伝えている。

私が主なフィールドとしている杏源里にも、功徳碑がある。杏源里に功徳碑が初めて建ったのは、私の初めての村生活が半年を過ぎようとする頃だった。この功徳碑は、里民会館新築のために在日、在ソウル、在釜山、在蔚山、在済州市の杏源里親睦会会員からの寄付を刻んだものだ。1995年3月、里民会館竣工記念チャンチ(宴会)が開かれた。村外の各親睦会からも代表が駆け付け、日本からは2名が参加した。解放前に日本で生まれ幼少期を済州島で過ごされた高さんと、解放後に初めて日本へ渡航した任さんだった。それまでにも、在日本杏源里出身者の有志からは1968年村を通る済州島一周道路改修工事のとき、親睦会としては1991年に村や周辺の生活道整備のときに寄付をしている。しかし、功徳碑が建立されたのはそれが初めてだった。

   
▲ (上から) 吾羅洞に建立された碑 、杏源里民会館前に建立された各親睦会の功徳碑    撮影:伊地知紀子

日本から来られたお二人は碑を前に、「万感交到る」という表情だった。多くの親戚や姻戚、同甲(同じ歳)、同窓の人びとが駆け寄ってこられたが、お二人の日本での日々の暮らしにまで思いを致す人は多くはない。それぞれプラスチック工場とヘップ工場を営んでおられたからどうしても「社長」イメージが強く、村の人びとには「在日」の厳しい労働環境は見えないのである。そこには致し方ない事情もある。済州島自体が、解放後の4・3、朝鮮戦争や凶作などが続き生活が長期間にわたって不安定で、杏源里の場合も生活に余裕が生まれだしたのはようやく1980年代後半という事情に関連しての生活感覚の違いも関わっている。私は、そのお二人との出会いをきっかけに、日本に戻ってから在日本杏源里親睦会の方々とお会いするようになった。日本で生まれた方も済州島で生まれた方もおられ、親あるいは本人の渡日時期もさまざまであった。その軌跡をたどることこそが、日本と朝鮮半島の歴史を等身大で学ぶことになると実感した。

   
▲ 大坪小学校内の建立された碑     撮影:伊地知紀子
お会いした在日本杏源里親睦会のなかでも年配の方々は、日本で営んできた仕事も引退の時期を迎え、なかには自分名義の村の土地や家の今後について方向性を決める精神的、時間的余裕ができた人もおられた。その方の依頼で、村にある家や畑を親戚のサムチュンに案内していただいたことがある。村の中の土地は、先祖から受け継いだものもあれば、植民地期に日本への出稼ぎで購入したものもある。村の年配サムチュンたちは、1つ1つの畑の物語を知っている。こうした土地をめぐる記憶もまた、世代交代が進み管理の問題や開発計画に直面するうちに土地の形状とともに変わっていく。

土地の整理を決断したその方も、渡日して48年、その間は、電話でのやりとりだけで親戚に管理を任せるしかなかった。日本で仕事を見つけ、家族を養う傍らで民族運動に関わって多忙な生活をしている間に、本国の法律が変わり、村の親戚や姻戚の世代交代も進む。財産整理は、現地で生をまっとうしている場合でも大仕事であるのに、国境をまたぎ行き来も思うように行かない人々の場合、並大抵でない労力と経費と気苦労を要するに違いない。日本の植民地支配に端を発する済州島の人びとの移動が、個々の人生折り目ごとに振り返られる。何事であれそれに対応するには、長い時間がかかることを教えていただいた。まるで亀のように少しずつゆっくりと調査していた私に、その方は「人生の哲学を学んでいるのですね」と勇気づけてくださった。その方も今では大阪市生野区の寺の墓に眠っておられる。自らの生を語り尽くせなかったであろう人びとの思いを胸に、これからもゆっくりと済州島を歩いていきたい。


伊地知紀子
1966年生。大阪市立大学文学研究科准教授。文学博士。1994年から2年間杏源里と下猊洞でフィールドワークをし、現在まで毎年調査研究などのために済州島へ通う。著書に『在日朝鮮人の名前』、『生活世界の創造と実践ー韓国・済州島の生活誌から』、共編著『在日コリアン辞典』などがある。

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杏源里民会館前に建立された各親睦会の功徳碑 撮影:伊地知紀子
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