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「亡き母がいるようで」−在日二世が一世である亡き母の思いを抱いて済州のクッに参加
2012.06.12 (火) 金由汀 contributor@jejujapan.com

       済州ゆかりの日本の地、人 2     


ゴォーゴォーと北西風がふいて雪が舞い、波が泡立っていた。鴉が群れてやけに哭いている。村人たちが恐る恐る凍てつく浜に出てみると、難破した唐人の頭がい骨が魚登浦に浮かび、手脚は高内、涯月、明月の浦に浮かぶのが見えた。いつぞやの海女の溺死体のようだ。アイッ、こんな月にゃあ、海に出るな、とヨンドン神様が怒っていなさる。牛島に降りたったヨンドゥン神は海女の神さまじゃから、ハルマン(お婆さん)と呼ぶことにしよう……。漁村に住む海人にとって、深海の底ほど恐ろしく、それでいて魅惑的なものはないが、ヨンドゥンハルマンが牛島に戻り去っていきなさるまでの15日間は休むとしよう、と、毎年、ムーダン(巫堂)を呼び、クッ(お祓い)をしたのがヨンドゥンクッの始まりだそうな。

海辺の漁村、北村里。楽座が鉦と太鼓でリズムをとり、ムーダンは厳かにクッの開始を告げた。肩をヒックヒックと揺らしながら謡うように祝詞をあげているのかと思いきや、今度は右に左に舞い、村人たちの名を読みあげている。集まった海女たちは頭を垂れて、アイゴ……、コマッスダ……(ありがとうございます)と返している。

五歳の時に済州島から日本に渡った父が、クッなど邪教だと、頭ごなしに否定していたのを思いだす。なぜ、満面朱に染めてまでいきりたち、クッをしてみたいという母を抑えていたのか、長い間、わたしには疑問だった。

今回、わたしは、済州島でクッに初めて参加して、隣に座る、いかにも荒潮をくぐり抜けてきたというような、顔に深い皺のよったお婆さんに聞いてみた。

   
▲ 念願叶って、やっと参加することができた済州のクッ     写真提供:金由汀

「お婆さん、何を祈っているのですか?」

「アイッ、無事故、息災ヤゲ……」

海で鍛えられた厳しい顔が一瞬にして柔和な表情になった。そして、優しい声で答えてくれたのにはびっくりした。

ムーダンが泣きだした。ムルスゴン(涙の手ぬぐい)で頬をぬぐっている。

「なぜ泣いているのですか?」とわたしはまたしてもお婆さんに尋ねた。すると、

「仲間が海で死んだのさ……アイゴ」と言ってお婆さんは目頭を押さえた。

海の仕事は金にはなるが、死と隣り合わせなのだ。なるほど、ここは海女たちのクッなのだった。

セドリム(邪気祓い)が始まって、海女たちが中央に集まった。わたしも、その中に紛れ込み、頭を垂れた。シンジャンテ(棒の先に和紙がついているもので、ムーダンが不浄を祓う意味で手に持つ)が頭の上で揺れ、ムーダンに頭を押さえられた。その時、はたと、思いあたった。過去に一度、こんなことが……。

今から四十年も前のこと、大阪の生駒にある朝鮮寺に母が三日間も籠ってクッをした。父は歯ぎしりをしていたが、母は頑として押し切った。わたしには、

「最後の日に少しだけ顔を出しや」と言って。

わたしに見合い話が来て、トントン拍子に話が進んだが、式の直前に、ある伝説が問題になった。表善面の兎山村でひとりの生娘が倭寇に強姦され抗った末に死んだ。彼女の怨霊が蛇神となって、それ以来、嫁いでいく村の娘には必ず憑いて行き、祀らなければ祟りがある、という言い伝えがあるというのだ。母は、兎山村に近い村で生まれた。だから、わたしが嫁ぐ先は草も木も生えぬという。生まれて初めて母とわたしが否定されたような気がした。白眼が光る相手方の態度に、母はわたしの行く末を案じて、ムーダンを頼ってお祓いをしたのだろう。

「生駒駅を降りて、ガードを潜り右に上がっておいで」という通りに登っていくと、表むきにはどこにでもある民家で、しかし、目立たぬが経木が架かっている家の前で、母がすっきりとした顔で立っていた。

家中に入ると、アルミの巫器に盛られた米や果物、魚が目に入った。香木が燃えて煙は静かに螺旋を描き、外へと流れていった。わたしは、部屋の中央に座らされ、頭を垂れると、シンジャンテが激しく揺れ、呪文をかけられた。山風が渡り、極彩色の布でたすきがけをしたムーダンが長い晒しを蛇のように揺らして、それを座敷から追い払うような仕草をした……。

   
▲ 晩年の母親と2人で    写真提供:金由汀
今思うと、なんの解決にもならなかったような気もするが、その時は、生きる力、差別なんかに負けるものか、という力が少しはわいてきたような気がした。わたしでさえそうなのだから、三日三晩、山に籠っていた母は、カタルシスを感じていたのだろう。文字を知らず、ただただ、夫に仕え、子を育てながら、夜を昼に継いで仕事に明け暮れた母は、神さまの前でだけ、おもいっきり泣けた、笑えた、ということなのだろうか。

ソミと呼ばれる見習い巫女が、竹で編んだ籠にお供えしていた白い餅を入れ、座敷を回って配っている。お布施を求められた。海女たちは、家族の安寧、海の安全を願って何度も繰り返し、紙幣を米や供え物に挟んでは祈りを捧げる。母もこの中にいたかったのだろうな、将来に対する不安を消したいという、そんな素朴な願い事さえ許されなかった母……。わたしは、そんなことを思いながら、クッの一部始終を見守っていた。

いよいよ、クライマックス。粟の種蒔き、村や個人の運勢占いなどが終わると、帆と舵を備えた舟の摸型に供え物を積んで抱えた海女や、ムーダンになり代わって憑依したかのような海女たちが、粟を撒きちらしながら、あるいは、鉦と太鼓を叩き踊りながら浜に向かう。わたしも後を追い付いて歩き、一緒に船に乗って沖へ出た。雨が激しくなって、波が高い。下着まで浸みこむほど濡れた。海女たちは、船の揺れなどなんのその、陽気に鉦と太鼓を叩き踊っている。なるほど祝祭なんだ。一方、わたしは、船から落ちるのが怖くて艫にしがみついていた。その時、ふと、荒くる波の向こうから、母の声が聞こえたような気がした。アイッ、オモニが守っているから大丈夫ヤゲ!。


金由汀
1950年大阪生まれ。2002年4月部落解放文学賞入選、2002年9月朝日新聞らいらっく文学賞入賞。現在「地に舟をこげ」に「夢の淵」を連載中。

contributor@jejujapan.com

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