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「君が代丸」
2012.05.21 (月) 文京洙 contributor@jejujapan.com

        在日済州人の歴史  5      


在日済州人について語るときに欠かすことが出来ないのが〈君が代丸〉の存在である。「君が代丸」は、1920 年代の初めから解放の年まで済州島と大阪とを結んだ尼崎汽船部所有の連絡船。尼崎は、大阪に隣接する尼崎(あまがさき)ではなく、当時、西日本から朝鮮航路に展開した海運業者の尼崎(あまさき)家をさしている(杉原達『越境する民』)。尼崎汽船部の資料によると阪済間の直航路の開設は23 年2月となっていて大半の文献・資料はこれに準じている。しかし、ルポライターの金賛汀が取材した高範瑞(コ・ボンソ)さんは、22年末に〈君が代丸〉に乗って「済州島から大阪にやって」来たといい、その船は「日露戦争当時、日本がロシアからぶんどった」古い小さな連絡船だったという(『異邦人は君が代丸に乗って』)。ともあれ、24 年には朝鮮郵船、さらにその後は鹿児島郵船や朝鮮人独自の東亜通航組合などが阪済直航路に参入して、33年前後のピーク時には年に3万人近い済州島人が大阪に渡っている。

   
▲ 「第2君が代丸」 出所:『道昇格50周年記念写真集 済州100年』  済州道
 「古い小さな船」と表現された1代目の〈君が代丸〉は、25 年9月、台風のため座礁し、航行不能となった。尼崎汽船部は、ソ連から砲艦を買い付けてこれを貨客船に改修し、翌年から〈第2君が代丸〉として阪済航路に就航させた。当時、済州島人が「クンデファン」と呼んだのはこの〈第2君が代丸〉であった。

   
▲ 済州島航路図 出所:杉原達『越境する民』  新幹社、
34年8月1日、地理学者の舛田一二は、大阪築港からこの〈第2君が代丸〉に乗り込んだ。その頃は、定期船が月に6回、大阪からは1と6の日に就航し、とくに「1日と16日には、最も多くの出稼ぎ人がみそかと中の勘定日の現金を携えて帰島する」というので舛田はその船便を選んだ。枡田はその「出稼ぎ人」を満載した船内の模様をつぶさに描いている。当時の〈君が代丸〉の乗船気分を味わっていただくために、長文を厭わず引用する。

まず、「本船の船客規定定員は365名であるが、出稼ぎ船客定員として685名までは許されている」という。〈第2君が代丸〉の総排水量は919トン、長さが62.7メートル、当時の済州島人には相当巨大に見えたようで、大きなものを表現するのに「君が代丸のようだ」という比喩が用いられたという(辛在卿「〈君が代丸〉についての歴史的考察」)。

「本航海の船客は563名である。このうち上等客7名のうちわずかに2名が内地人で……ほかに移動警察官として、大阪府警察署の思想係のO氏、大阪築港水上署のW氏と島の巡査とが、いずれも私服で乗り込んで勤務している」。日本人が多かった関釡連絡船の乗客とは違って、〈君が代丸〉の乗客のほとんどは済州人であり、この頃の済州人のなかには労働運動や抗日運動に身を投じたものも多かったことから、船内にはぬかりなく官憲の目が光っていた。

   
▲ 大阪築港に上陸する朝鮮人 出所:在日韓人歴史資料館編『写真で見る在日コリアンの100年』より重引
「一方下等の船賃は、大阪から島の上陸地となる15港のうち、どの港へも6円、しかも食事つきであるから、こんな安い運賃は日本一、恐らく世界一であろう」。だが、この「世界一」の安さにはいきさつがあった。30年、尼崎汽船と朝鮮郵船は、8円から12円50銭への運賃の値上げを断行した(『異邦人は君が代丸に乗って』)。それは、職工の月給の半分近くにあたるため、済州人は島民大会など開いて激しく抗議したが聞き入れらなかった。そこで済州人自身による阪済航路の自主運行を目指して4500人が出資して協同組合の「東亜航通組合」を立ち上げ、11月には6円50銭という、当時では破格の運賃で自主運行にこぎ着けた。だが、済州島人の自主運行は抗日運動的性格を否めず、厳しい官憲の弾圧に見舞われた。しかも尼崎汽船部は運賃3円という猛烈なダンピングで対抗した。その結果、「東亜航通組合」の運営が行き詰まり、33年12月には運行停止を余儀なくされる。そしてそのように自主運行を潰すという目的を果たすと、尼崎汽船部は運賃を6円に戻す。舛田が〈第2君が代丸〉に乗ったのはちょうどその頃であった。

枡田は、〈第2君が代丸〉の乗客を生き生きと描写している。

「客は若者が多く、17-8歳から30歳前後のものが大部分である。中には、まげを結って馬の尾で編んだ冠をつけ、あごひげをのばした者や、老婆もいる。また、人の頭の3倍大もあるようなパカチ(干瓢(かんぴょう))と、木を丸く曲げた枠にかがった大きな網籠などをそばに置いて、乳のみ子に乳房を含ませている者など、いかにも血色のよいたくましい体の若い女たちも、あちらに三人、こちらに五人と見られる。その若者たちは、携帯品や日焼けした血色のよいたくましい体から、出稼ぎ海女の帰還者であることがわかる。ほかにも、つたい歩きのやっとできるような赤ん坊を連れた夫婦の、一家総出の出稼ぎらしい者や、海女とはあまりにも相違した顔の青白い女工らしい娘たちや青年たちもいた……船室内には、横になるすき間も見いだせない。したがって、通路といわず、甲板といわず、荷物の上にもかまわず、およそ空間のある所、日影のある所、まさにごろ寝のありさまである」(『枡田一二地理学論集』)。

大阪から最初の寄港地である山地港(済州市)までおよそ二日、さらに船は二日間かけて、翰林、摹瑟浦、西帰浦、表善、城山浦、金寧などを周回し、やはり二日間かけて大阪港に戻る。35年以降は、〈第2君が代丸〉が阪済航路を独占したが、45年、大阪港で空襲にあって沈没し、その歴史の幕を閉じた。


文京洙
1950年東京生まれ、父母が旧左邑金寧里出身。日本の中央大学卒、国際基督教大学教養学部助手などを経て、現在、立命館大学国際関係学部教授。主な著書に『済州島現代史――公共圏の死滅と再生』新幹社、『韓国現代史』岩波新書、『在日朝鮮人問題の起源』クレイン、『済州島四・三事件:島(タムナ)のくにの死と再生の物語』平凡社などがある。1988年から 98年まで在日の「四・三事件を考える会」会長をつとめ、現在も関西を中心に四・三事件のとりくみをおこなっている。 

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