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聖地での祈りで癒され、それを糧に過酷な現実と闘った女たち
済州女性文化遺跡 (3) 祈りの場 ・ 堂
2012.03.16 (今) 玄善允 editor@jejujapan.com

済州は神話、伝説の島であるばかりか、女たちの祈りの島でもある。強靭な心身ばかりか豊かな想像力でもって現実の過酷さと対抗してきたのが、済州の女たちの歴史とでも言おうか。あるいは、過酷な現実が彼女たちをそのように強いてきたといったほうが事実に近いのかもしれない。

但しその祈りも、しばしば迷信などと貶されるシャーマ二ズム系列である。済州は巫俗の島であり、その聖地が堂(ダン)である。

済州の堂には、村の本郷堂(村の共同体の神を祀る)、海神堂(海の神を祀り、もちろん海岸村にある)、七日堂(子供の産育、治病に関わり、七のつく日に参る)、八日堂(八のつく日に参る。七日堂と役割は同じだが、財冨に関わる蛇の神を祀る点が異なる)などの種類がある。一つの堂がいくつかの役割を兼ねている場合もあるが、なんといっても主流は各村に一つもしくは複数ある本郷堂なのだが、それは通常、村から近くて静かな場所(丘の上、崖の下、海辺、干潮時だけ歩いて行ける海中の岩場など多様である)に位置し、大木(神木)と平たい岩あるいはそれに準ずる祭壇が備わっている。

祭儀は家にまつわるものと村落共同体にまつわるものとに大別され、前者は家で、後者は村の堂で行われるが、どちらも祭者であるシムバン(漢字では神房と表記、本土の巫堂にあたる)を招いてなされる。しかし、それとは別に、家の大小の行事の成功を願ったり、個々人の憂いを晴らすために、一人で堂に行き、直接に「神」と対面することもある。

巫俗信仰は「下賤」な女たちの心の砦であり、朝鮮王朝の時代も、その後の植民地時代にも、さらには解放後の近代化運動によっても、常に貶められ、迫害されてきた。さらには、近代的教育と大宗教たる仏教やキリスト教の影響力の増大によって、廃れる運命にありそうなのだが、それでもいまだに済州には300を超える堂があるという。それほどに済州の人々の心の奥底に場所を占め、頼られてきたということになろう。或いはこれまた、それ以外に頼れるものがなかった女性たちが今もなお数多くいる、という風にも言えないわけではない。

   
▲ (左から)供え物として奉げられる生きた鶏、 松堂の村祭   撮影:金南姬

済州の巫俗信仰のメッカと言われる松堂の堂は、その威厳、そして霊験あらたかという評判が人を呼んで、本土その他からも巫堂などがはるばる訪れる。僕が訪れた際にも、済州の神房グループと全羅南道からやってきた巫堂グループが、お互いによそよそしく各々の祭儀の準備をしていた。

また、村の巫俗的祭儀が儒教的祭儀と混交したり併存しているところもある。たとえば、金陵里陵郷院は、朝鮮の公的イデオロギーであった儒教と、それによって貶められ迫害されてきた民間の巫俗信仰との共存というべきか、せめぎ合いというべきか。ともかく、現在の金陵里の人々の生、そしてまた昔と変わらぬ念願と祈願、すなわち村の和合と繁栄とが祈られている。

その他それぞれに特色を備えた堂の中でも、僕がひときわ強い印象を受けたのが、海の中にあって、引き潮の時だけ歩いて行ける終達里の「センゲナムドンチダン」である。神体である大きな岩が堂を胸の中に抱きしめているように見え、その神体の前に、神秘的で瑞々しい神木が自生している。潮風に曝されながらも四季にわたって緑が瑞々しいその木を見て、人々が勇気づけられ、聖なるものとして崇めてきたというのも納得がいく。

それに劣らず強烈な印象を与えられたのが、上貴里「ファンダリクエ」、山間の谷間で、絶壁に囲まれた円形の堂である。頭上には木の枝が絡み合って日差しが入いらず、夏の日の盛りの頃でも冷気で背筋が冷たくなる。「ああ、こういうところで女たちは神と対面し、言葉のない対話を通じて癒されていたんだ!」といたく感動しないわけにはいかなかった。そこでは一組の夫婦神がそれぞれ離れて座定しており、その謂れは男女の確執を物語っており実におもしろい。夫人神は淡白な飲食を好んでいたが、夫神は漁夫と海女を見回るために海辺に頻繁に降りていき、豚肉を好んだ。ある日、豚肉を肴に酒をひっかけて帰ってきた夫神に向かって、夫人神はつれなく「なんてこと、この生臭い・・・、あんたなんかとは共に暮らせないわ。あっちに下りていって、一人で暮らしなさい。」。これはいかにも女の島済州にふさわしく感じられるのだが、ほかの堂にはそれとは正反対のバージョンもある。つまり、食性を盾にして、妻が夫から追い出されるというストーリー。最近訪れた際には、その夫神の座定するところが、台風のせいで大木が倒れてほとんど塞がれていた。夫神が台風という山の神(夫人)に恐れをなして姿を隠してしまったのでは、などと悪趣味な想像にかられたものである。

以上はすべて露天の堂であるのに対して、家屋の中に祭壇が祀られている堂もある。たとえば、西帰浦の今や観光スポットとして名高い李仲燮美術館、その間近にひっそりと佇む西帰本郷堂であり、僕などが幼い頃に見知った大阪の巫俗信仰の場を髣髴とさせる。生駒山麓の「朝鮮寺」や先ごろ姿を消した大阪桜ノ宮の大川河川敷の貸し祭場であった「龍王宮」に似て、質素な建物の内部に、猥雑で悪趣味に感じられる装飾を凝らした祭壇があり、数多くの蝋燭の火がそれを照らし出し「異様な」感じを強めている。

そんな猥雑さ、異様さが故に、近代教育で育てられてきた僕らとしては「迷信」と切り捨てたくもなるのだが、僕らの母親たち在日一世の済州女性たちもまたそういうものに自分の心情を託して生き抜いてきたことに想像を働かせれば、迷信などと軽々しくバカにして済ませる資格など僕らにあるわけもないことに気付く。僕らが依拠している近代的思考もまた、その迷信といかほどに距離があるのか、といったように自分を疑ってみるのも精神衛生にとって悪くはなさそうなのである。済州の堂の中に入ってみると、そんな反省の機会になるかもしれない。


玄善允
1950年、済州島出身の在日朝鮮人を両親として大阪に生まれ、大阪大学及び大阪市立大学大学院にて仏語・仏文学を学び、日本の京阪神の諸大学にて仏語仏文学を講じる。フランス文学以外の著書・論文としては、在日論として『「在日」の言葉』その他があり、済州関連では「龍王宮再考―聖性を欠いた場における祈りと孤立した共同性」その他がある。済州大学校耽羅文化研究所特別研究員、大阪経済法科大学アジア研究所客員教授。


 

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松堂の村祭 撮影:金南姬
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