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済州の海村での生活に学ぶ (2)
2012.03.09 (今) 伊地知紀子 contributor@jejujapan.com


   
▲ (上から時計回りで)キムチを用意する40代オンニたち、 朴サムチュンの墓をつくるサムチュンたち、婚礼のためにサムチュンたちが用意したおかず。日本から来た親戚が日本のワサビと醤油を持ち込んだ。 写真撮影:伊地知紀子

村での生活が落ち着き始めた1994年の秋、日本人が住んでいるという噂はあっという間に村中に広まり、近所の女サムチュンが私の家にやってきた。私の「アボジ」である安基男さんが1992年まで住んでいた家である。冬には薪を焚いてオンドルで暖をとる家屋で、私も手順を学んで焚いてみた。こうした家屋は、村では一、二軒しか残っていなかった。1923年築、マダリの天井の梁に「大正十四年乙丑十一月」と墨で太く記されており、植民地支配の歴史を物語る。

さて、遊びに来てくれた女サムチュンは、「うちのおっさんが日本を懐かしがってるから、一度遊びにおいで」と誘ってくれた。早速遊びに行くと、流暢な関西弁の朴サムチュンが部屋へ招いてくれた。長男である朴サムチュンは、多くの祭祀を主宰しなければならず、その経費を稼ごうと1966年に大阪の堺市にいる親戚を頼りに島を出た、と語ってくれた。後に、杏源里では「生活に余裕ができた」と感じられるようになったのは1980年代後半になってからだということを聞いた時には、朴サムチュンが村を出た理由にも時期にもはたと納得がいった。死ぬなら村でと、1993年に戻ってきた朴サムチュンは、私にその人生を語ってくれた翌月に家で息を引き取った。

朴サムチュンの葬儀は3日間にわたって村で行われ、4日目に亡きがらが村の共同墓地に埋葬された。一方、村の外での死は「客死」と呼ばれ、村の中では葬儀をされず、墓に土葬するときも遺体は村の中には入れない。杏源里は六つの洞に分かれており、同じ洞内の人たちが葬儀準備から埋葬までを担う。亡くなった翌日を「イルポ」というのだが、そのイルポに行ってみると、同じ洞内のサムチュンたち、朴サムチュンの親戚はもちろん、妻の海女仲間、同甲(同年生まれ)仲間などが準備にいそしみながら、その場に顔を出した人には必ず、「食事してください!」と声をかける。

私にもサムチュンが「とりあえず食事しときな」といってくれた。タチウオの汁とキムチとご飯をいただきながら見ていると、食事を済ませると「明日来るから」とさっさとムルジルに行くサムチュンもいる。つまり、顔を出すことが儀礼準備に参加するという意思表明になる。食事が済んだ私も、「今日はすることがないから、明日おいで」と言われたのだが、食べるだけ食べて何もしないなんて、という感じで、出直して埋葬終了までお手伝いすることにした。

その後は洞内で執り行われた冠婚葬祭には必ず参加した。1937年17歳で大阪へ行ったことのある金春緑さんの家に遊びに行ったときに、葬儀の手伝いにいってきたことを話すと、「ヨンジャンパッに行ってきたのかい」と言われた。「ヨンジャン」とは済州島の言葉で「葬儀」、「パッ」は畑である。面白い言い方だからと気をつけてみると、婚礼のチャンチ(宴会)が多い日には、「今日は、チャンチが三パッある」とサムチュンたちが話している。なるほど、儀礼の場に参加することは「仕事」でもあるのだ。労賃をもらうわけではないが、日々の生活を紡いでいく大切な「仕事」の場だ。

葬儀や婚礼といった儀礼には、村の人びとは誰もが訪れ、村外からも多くの来客がある。そのため、朝昼夜合わせて少なくとも三百から五百食は見込んで家の台所、マダン、倉庫をフル活用して準備がなされる。男性は豚をつぶし、酒を飲んで場を賑わし、女性は食事の段取りを担う。手伝いのために儀礼の場に行くと、まず食事をいただくので、家でおかずの用意はしないで済む。家に残した子供のためには、合間を見ておかずを届ける。儀礼の場に顔を見せない独居老人などの場合には、誰かが食事一式を届ける。私が配置されたのは、食器洗いのパートだった。食器洗いは若手が担当し、飯炊き、野菜切りや揚げ物といった力と技量のいるパートは、30代から40代くらい。儀礼に欠かせないウニ汁を作るのは50代くらい。そして、夏には涼しく冬には暖かい場所にドーンと座って白飯を盛るのは60代。70代にもなると、飯釜の横でおかずをつまみつつ配膳の様子を監督がてらひたすらしゃべり込む。

こうして葬儀や婚礼を手伝うと「答礼品」をもらう。タオル、練り歯磨き、ゴム手袋、インスタントコーヒー、砂糖など。雨で陸の畑に行けなかったり、海の畑が荒れているときに町へ買い物に行かねばならないサムチュンたちにとって、「答礼品」はどれも日常生活の必需品であり、その日一日の「働き」への賃金に換算できない「返礼」なのである。ソウルで「答礼品」といっても通じないそうだ。さらに、儀礼で振る舞われる蒸し豚のお持ち帰りも、数日間は家でのご馳走になる。儀礼という「仕事」場は、情報交換や会議の場でもある。日々、海の畑や陸の畑へ数人ずつ連れ立って出向くのだが、儀礼の場では普段あまり一緒に行動しない者同士とも一緒になる。概ね年代ごとのグループに分かれて作業をしながら、個々の事情に応じて入れ替わり立ち替わりし、朝早くから夜遅くまで話題がつきることはない。今年植える作物の市場動向や肥料の回数。サザエの価格変動や海の畑の様子。他所の畑での働き口探し。さらには互いの身辺や噂話や他所の冠婚葬祭の話などは、渡しそびれたままの「扶助」(香典やお祝い)を持っていくための貴重な情報となる。こうしたおしゃべりのなかで、日本での仕事経験はもちろん、日本にいる親戚や同郷者の近況も語られるのである。

伊地知紀子
1966年生。大阪市立大学文学研究科准教授。文学博士。1994年から2年間杏源里と下猊洞でフィールドワークをし、現在まで毎年調査研究などのために済州島へ通う。著書に『在日朝鮮人の名前』、『生活世界の創造と実践ー韓国・済州島の生活誌から』、共編著『在日コリアン辞典』などがある。

 

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