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「チャムスのうた」
2012.02.29 (水) 文京洙 contributor@jejujapan.com

 在日済州人の歴史   4 

 

   
▲ 金栄・梁澄子著 『海を渡った朝鮮人海女』の表紙
1983年、つまり今から4半世紀以上も前のことになるが、二人の在日女性(梁澄子と金栄)が房総半島の各地に朝鮮人海女(チャムス)を訪ね歩く旅を始めた。二人はその当時、まだ20代後半の若さであった。外房の勝浦、天津、太海(ふとみ)、和田浦、内房の千倉、保田、金谷、竹岡など8カ所を4年間かけて少しずつ訪ね歩き、28人のチャムスに出会っている。そのほとんどは、解放前から日本にやって来てその頃もなお潜り続けているチャムスたちだった。チャムスたちと二人の出会いと交流は、一冊の本(『海を渡った朝鮮人海女――房総のチャムスを訪ねて』新宿書房1988年刊行)にまとめられた。気負いのない、柔らかな文体で綴られたその記録は、まさに「海を渡った」済州チャムスたちの掛け替えのない記録となった。と同時にそれは、日本に生まれ育った在日女性のたしかな歩みと思いを記すこの上ない作品ともなり、88年の「山川菊栄賞」を受賞した。

 すでに本紙の連載①(「在日済州人の誕生」)で書いたように、済州チャムスの日本での操業は、1903年の三宅島への出稼ぎにまで遡る(『枡田一二地理学論文集』)。大阪 港では1913年頃から済州チャムスの操業が始まったという(伊地知紀子「国外出稼海女」『済州女性史Ⅱ)。しかし、それが本格化するのは、「君が代丸」の就航(22年)以降のことである。1928年8月、『大阪毎日新聞(朝鮮南版)』は「済州島海女物語」と題した記事を上中下の3回(21日~23日)に渡って連載し、「内地の
   
▲ 植民地期の済州海女の日本での操業地(伊地知紀子「国外出稼海女)『済州女性史Ⅱ)より)
海女たちが海を嫌って耳かくし髪で銀ブラを夢見るような時代」となって、「海女の本場の紀州の海濱ですら出稼ぎの済州島の海女を迎え近くは対馬から長崎、五島、遠く大阪から、伊豆諸島あたりまでその勢力範囲となってをるんだから驚く外はない」と感嘆した。産業化や都市化がすすんで海女という過酷な仕事につく日本人が減り、そこに済州チャムスが入漁できる余地が生まれたわけである。やがて1930年代ともなると、1500~1600人の済州チャムスが日本の海でムルチル(漁)に励んだ。出稼ぎ先も西の五島列島(長崎)から、東北の下北半島(青森)に至る全国各地に及んだ(添付の地図参照)。「君が代丸」に乗って大阪に到着後、東京を経て佐渡島にまで出漁したチャムスもいたという(伊地知紀子「国外出稼海女」)。

   
▲ ソジュンイ(木綿の海女着)の作り方を示したスケッチ(『海を渡った朝鮮人海女)より)
『海を渡った朝鮮人海女』によれば、房総での済州のチャムスたちの操業も20年代後半に始まっている。日本各地の済州人コミュニティの成り立ちを遡ると、必ずと言っていいほど、その地で生活を切り開き、同郷の村人たちを呼び寄せた先駆けとなる人が浮かんでくる。房総でもその例にもれず、朴基満さんがいた。この朴さんが早くから外房の和田浦に住み着き、チャムスたちを率いる“親分”となって故郷の翰林面の人たちを呼び寄せたのである。梁澄子と金栄の二人が房総で出会ったチャムスたちはすべて翰林面(現在の翰林邑と翰京面)の海岸村から来た人たちだった。済州島でチャムスが最も多いのは旧左邑(牛島を含む)だとされるが、翰林面はこの旧左面に次ぐ「海女どころ」であった。朴さんが故郷の村から招き入れたチャムスや引率者は、房総の各地はもとより福島や青森まではるばる出稼ぎに出た。

   
▲ ソジュンイ(木綿の海女着)を穿きチョクサムをはおるチャムス(『済州100年)より)
チャムスたちの獲物は、アワビ、サザエ、ウニ、テングサなどで、アワビとりの上手なベテランのチャムスは“上(サン)チャムス”と称され、テングサなどを採る他のチャムスよりも高収入だった。上チャムスではなくとも一般にチャムスの収入は、朝鮮人が日本で就きえた他の仕事に比べ高かったが、その分、作業は過酷をきわめた。もちろん、ゴムのスエットスーツなどない時代で、ソジュンイ(º“중이木綿の海女着)に、チョクサム(적삼白木綿のシャツ)をはおる程度で水に潜る(写真4)。外房の海はひときわ荒く、貧血で倒れて二日目にようやく意識を取り戻した、というエピソードも語られる。鼓膜をやられ、中耳炎や難聴に悩まされるチャムスも少なくない。

戦時下の40年代、チャムスたちは、アワビなどの採取を禁じられ、テングサとりやカジメ切りが強要された。テングサは塗装や艶出しに利用され軍事用としても重宝された。コンブ科のカジメには、火薬原料となる「カリ」が含まれ、「徴用」でカジメ切りに動員されたチャムスも少なくなかった。1944年になると和田浦のチャムスたちは、カジメばかり切らされた。カジメ切りは、「アワビやテングサとりなど他のどんな作業よりもしんどかった」。戦時下で配給が乏しいうえに目の前のアワビさえも口に出来ないひもじさの中でそんな苦役を強いられたのである。そういうチャムスを慰めるためか、その頃こんなうたが唄われていたという。

 可哀想で悲しいチャムスの暮らし

 誰が教えたか、恨めしい

 風が吹き、雨が降りそそぐ浜辺で

 カモメのように食べ物探す

 荒々しく砕け散る波間で

 水の中を行ったり、来たり

 息も苦しく、心も切ない 

 

文京洙
1950年東京生まれ、父母が旧左邑金寧里出身。日本の中央大学卒、国際基督教大学教養学部助手などを経て、現在、立命館大学国際関係学部教授。主な著書に『済州島現代史――公共圏の死滅と再生』新幹社、『韓国現代史』岩波新書、『在日朝鮮人問題の起源』クレイン、『済州島四・三事件:島(タムナ)のくにの死と再生の物語』平凡社などがある。1988年から 98年まで在日の「四・三事件を考える会」会長をつとめ、現在も関西を中心に四・三事件のとりくみをおこなっている

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