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友情の輪で、大事故を乗り越えて済州一周サイクリングを果たした在日済州人二世!
済州サイクリング連載(終)
2012.02.24 (今) 玄善允 editor@jejujapan.com

 
   
▲ 山房山の全景    撮影:金唯正


在日二世の旧友3 人組で始めた済州一周サイクリングも回を重ねるにつれ、コースの多様化に加えてメンバーも次々と増えた。2回目からは僕の上の弟が、3回目にからは末弟も加わった。さらには、その「冒険談」を聞きつけた友人、知人たちまで、国籍、男女、職業、年齢を問わず輪が広がった。その多くが在日二世だが、日本人もいる。中でも変わり種は20年以上も前に豪州に移住した在日二世の先輩で、日本での用事のついでに2回も僕らに合流した。また、僕らが学生時代以来可愛がっていた後輩(両親が済州出身)が急逝し、その傷が癒えない奥さんも伴って一周を果たした。

それは喜ばしいことだった。しかし、その一方で僕ら3人組の負担が増えた。たとえば、在日二世の中には、近年になって朝鮮籍から韓国籍に代えたばかりで、韓国どころか海外旅行の経験さえない人が少なくない。その上サイクリングの初心者ともなれば、旅券の発給、航空券の確保、サイクリング用自転車の乗り方、そしてその携行の仕方など、僕らに「おんぶに抱っこ」とならざるを得ない。

さらには、人数が増えると安全確保の問題がさらに大きくなる。新参者の場合、言葉の不自由な土地、しかも慣れない自転車なのだから、事故やトラブルが起こっても不思議はない。

腰に支障を抱えた大先輩が参加することになった。歩くのは難儀でも自転車だとあまり支障がないので、ご両親の故郷である済州島を自転車で征服するのだと、懸命に練習に努めたうえでの参加で、大いに張り切っておられた。

空港に着いてみると強い風が西から東に吹いていたので、僕らは普段とは反対に東回りで成山浦側に走り出した。そして、済州市内の市街地での面倒で気疲れのする走行の果てに、市街地のはずれに位置する教育大学にたどり着いた。その先は車も少なく、車道脇の歩道兼自転車道は危険もなく快適な道だからと、意気揚々とスピードを上げた矢先だった。その先輩がいきなり転倒し、歩道と車道を画するコンクリートに頭が激突した。メガネが割れ、周囲には血が飛びちり、本人は意識不明。直ちに救急車を呼び、医師である僕の弟と僕らのサポートのために車で伴走してくれていた済州の若者が病院に同行した。

僕らはうろたえた。中止が人情というものだろう。同行者が病院で苦しみ、もしかして・・・といった状況で、サイクリングを楽しむなんて、不謹慎きわまりない。しかし、もしそこで断念したら、事故の当事者は、僕らに申し訳なく思うに違いない。そんな心優しい方なのである。それに、たとえその事故がひどい結果をもたらしたとしても、当座の僕らには何もできることがない。それまでは沸き上がる心配を宥めて、僕らがサイクリングを楽しむことを当の先輩も望んでいるに違いない。そのように自分自身を無理矢理納得させて、サイクリングを続行した。その間、病院の付き添いはメンバーが交代で担当した。先輩には事故当時の記憶が全くなく、同じことばかり話している。顔がひどくはれ上がり、体のあちこちの打撲の痛みを訴えている。でも食事は取れている。そんな情報を伝え聞きながら、僕らは懸命に走った。

しかし、事故は事故を呼ぶものである。事故の後なのだからさらに用心を重ねなくてはと、西帰浦から山房山までの危険の多い自動車道では2グループに分かれ、中文観光団地で落ち合うことを約束したつもりだった。そして僕らのグループは無事にそこに着いたのだが、先行していたはずのグループの姿が見当たらない。初めは、どこかで道草でもと高をくくっていたが、いつまで待っても姿を現さない。次第に心配が募るが、当時僕らは携帯電話を持参しておらず、その代わりと頼りにしていた伴走の若者を病院に派遣してしまっていたために、なすすべがない。今か今かと待つうちに、初日の事故の場面が鮮明に蘇り、いても立ってもおれなくなる。  

   
▲ ハーメルが漂流した当時を再現したハーメル商船展示館    撮影:金唯正
そんなところに、パトカーが目に入ってきた。あわてて走り寄って事情を話したところ、乗りなさいと親切な返事。ワールドカップ競技場、新市街地などを経巡り、その間、警察の情報網を駆使してもらったが事故らしきものは何一つないという。仕方なく観光団地に戻った。そして途方にくれながら更に待つうちに、伴走の若者が病院から戻った。そこで、彼にその日の宿泊予定地まで捜索に行って貰うことにした。そして、日も暮れかけた頃になってようやく、先行グループが既にずっと先の山房山にたどり着いて、そこで心配しながら僕らを待っているという知らせが届いた。大きな心配の後の安心ということもあって、体からすっかり力が抜けてしまい、しかも日が暮れかけていて、もう走るわけにはいかないと、ピストン輸送で山房山まで輸送してもらった。

最終日はひどい向かい風に苦しめながら、なんとか空港にたどり着いた。そして痛々しい姿の先輩と再会した。先輩は僕らと共に飛行機に乗って大阪に戻り、通院治療を続けて完治した。それは事故の時点で僕らが想像した限りでは、不幸中の最良の結果だった。

そんな先輩の再挑戦の話が持ち上がった。済州滞在の間、病院食ばかりで済州の味を一度も楽しめなかった。そもそも記憶がほとんど飛んでしまっていて、あれほど準備に努めた甲斐がない、というのであった。僕らも同感だった。自分たちだけで済州の味とサイクリングを堪能したことの負い目もあった。そこで翌年、再挑戦となった。しかし、二度も「けちがついた」のだから再度のアクシデントを内心で大いに危惧していたし、実際思わぬアクシデントが生じ、またしても警察のお世話になったりもしたが、それは結果的には笑い話程度で済んだし、無事に一周完走に成功した。その際の先輩のはにかみを交えた笑顔が忘れられない。自転車で済州一周なんてささやかな私事にすぎない。しかし、個々人の来歴の襞がそこには秘められている。とりわけ在日二世にとっては、父祖の地での無償の苦労のはての格別な達成感を糧にして、いくらストレスが多くても自分たちが生まれ育った日本で、懸命に生きる意志を更新する機会にもなるのである。

 

玄善允
1950年、済州島出身の在日朝鮮人を両親として大阪に生まれ、大阪大学及び大阪市立大学大学院にて仏語・仏文学を学び、日本の京阪神の諸大学にて仏語仏文学を講じる。フランス文学以外の著書・論文としては、在日論として『「在日」の言葉』その他があり、済州関連では「龍王宮再考―聖性を欠いた場における祈りと孤立した共同性」その他がある。済州大学校耽羅文化研究所特別研究員、大阪経済法科大学アジア研究所客員教授

 

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