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風の島
2011.10.06 (木) 朱剛玄 contributor@jejujapan.com

   済州島再発見 

 
   
▲ 風向きのままに傾いて伸びる風向木       撮影 : 朱剛玄

 風の道、文明の道

 

済州空港に降り立った貴方には、何が待ち受けているだろうか。風、それも、雨や雪を孕んだ風ではなかろうか。済州では年中、風が吹かない日が珍しい。到着した日に風がなかったら、稀有な幸運と言わねばならない。その反対に風がひどく吹き荒れていても、心を痛めなくてよい。風が吹き、雨が降っても、たちまちのうちに日が射してくる、といったように、天気の急激な好転を当てにして、それが外れることなどほとんどない。

 

済州の歴史の成立と変化の動力もやはり風だった。韓半島のどこであれ、済州ほどに「風の道」に運命がかかっている海の空間はないだろう。なるほど半島部でも航路というからには、風なしには成立しなかった。しかし、風がもたらす文明交流と伝播の強度において、この島に勝るところはない。風の帝国、風の文明、風の歴史といった呼称こそ、まさしく済州にふさわしい。

 


古代の架け橋 風のネットワーク

 

数多くの人や物が風に乗ってこの島に入ってきては出て行くを繰り返してきた。運が悪い場合には、風に運ばれてフィリピン、沖縄、台湾、さらにはベトナムまで漂流したりもするし、その反対に、数多くの外国の船舶が漂流してきた。ハメルの漂流も、日常茶飯事の出来事の一つ、徐福の東征もまたその一例にすぎない。

 

徐福が西帰浦に立ち寄ったと信じる学者たちは、正房瀑布の徐市過之という文言を盾に亶洲とは済州のことだと主張している。徐福は徐市とも呼ばれる斉の国の出身で、秦の国で方士の役を担っていた。天下統一を果たした秦の始皇帝は、不老長寿のための不老草を手に入れるべく、天下四方に臣下を送ったが、なんとしても探し当てるに至らなかった。そこで徐福は、そろそろ自分の出番だと考え、秦の始皇帝に上訴文を奉じ、紀元前219年から210年までの2回にわたる遍歴が始まった。彼の行跡については韓国はおろか日本に至るまで幅広い伝承があり、済州では徐福が西帰浦に立ち寄ったと信じられている。
 

済州の前身である耽羅は卓抜した海洋王国だった。済州道の古地図である『耽羅巡歴図』に収録された「漢拏壯矚」には、済州はもちろんのこと、南海沿岸一帯、中国の寧波、蘇州、揚州、山東、日本と琉球、さらにはベトナム・マレー半島・タイまでもが明記されている。済州に吹く風の道は、風にふさわしく強力に広がっていった。

 


済州文化はその総体が風の産物

 

済州には、風が吹き荒れる島にふさわしく、随所で木々が風になびき傾いで立っている。その名もふさわしく風向木。風向木の代表格は榎の木である。済州の至るところに榎の木が立っている。榎の木は強靭な済州精神の象徴でもある。寒さと塩分に強く、それ以上に、風に強い。風のせいでたとえ木が折れたとしても、同じ場所に再び芽が出てくるといったように、強靭な生命力を誇る。あまりにも激しい風のせいでまっすぐに聳え立つわけにはいかず、ほとんど倒れてしまいそうでいながら、それでもなお見事なまでに重心をとって、頑強に持ちこたえる。済州の榎の木は大抵が海から漢拏山側に傾いて伸びている。海風が漢拏山に向かって吹き付けるので、榎の木もそれに適応することで、持ちこたえてきた。済州の榎の木は「美学的な木」である。風による苦痛と引き換えに、実に粋な姿を呈するようになったのである。

 

   
▲ 草葺き屋根は風に飛ばされないよう縄を網目状に編んだネットでしっかり固定されている。 撮影 : 朱剛玄
済州の風は恐ろしく、ぞっとするほどである。風が最も激しい翰京面高山里の最大観測風速は秒速60メーター、幹がひと抱えにもなる巨木が忽ちのうちに根こそぎにされるといったように、恐るべき威力を持つ。風は特にオルム(寄生火山)で強く感知される。身を隠すところがないオルムではいつだって風が吹きすさぶ。済州文化総体が風の産物という主張に全面的に同意しないわけにはいかない。風こそはまさに、それによって果てしなく苦しめられながらも、それだけに一層、中身がずっしりと詰まった根を地中深く降ろしている、済州文化の象徴だからである。

 

風が強いだけに生活風俗の端々にその影響が残された。済州の草家では端々に風に対する配慮をこらしている。どの家でも風遮を軒下に設置した。冬には雪を孕んだ風が吹き込むのを防止し、夏には雨交じりの風をせき止める。草屋根をロープで縛って丸く仕立てあげるのも風を考えてのことである。激しい風が吹く日に風の力をまともに食らわないように、風が抵抗を受けずに屋根の上を滑り抜けるように丸く作られた。直線的に吹き付ける風をまともに受けることのないように、柔らかな曲線状に石垣で囲った「オルレ(村道から家の入口に続く路地)」を作ったのも、先祖たちの智慧の賜物だった。

 


中国には媽祖、済州には霊登

 

東アジアには甲乙付けがたい2つの風神がいた。中国の江南に発する媽祖信仰と済州道の霊登神がそれである。中国大陸の海辺の人々と台湾の人々は媽祖に熱狂的なあまり、良いことであれ悪いことであれ、媽祖なしではなにひとつできないほどである。

 

陸地(韓国半島)ではほとんど絶えてしまった「霊登祭(クッ)」が済州では頑強に伝えられている。済州市のチルモリ堂では、あの有名な「霊登祭」が今でも執り行われている。陰暦2月の朔日の霊登歓迎祭と2月14日の霊登送別祭である。済州では2月朔日に山見物と海見物に訪れ、まず最初に、翰林邑貴徳里福徳浦口に入ってくる。済州を廻りながら桃と椿の花見をする。農耕地では五穀の種を、海辺では天草、サザエ、アワビ、ワカメなどの種を蒔いてくれる。

 

霊登ハルマン(女神)の恩徳なしでは、農業も漁業も何一つできはしない。これほどの権力がほかにありえようか。全知全能の風の神。霊登神が降臨する日、気候が暖かければ、服を脱いだ霊登が訪れたと言い、寒ければ服を着込んだ霊登が訪れたと言う。こうした表現は季節の変わり目を暗示する。気勢満々の風の神も時が来ると去らねばならない。霊登神は2月の末日、牛島を経由して済州から去る。かつては霊登送別祭りを執り行なわないうちは、漁夫たちが漁労に出かけることはなかった。


霊登神をこれまで頑なに守ってきた済州人の強靭な文化伝承力には敬意を表するほかない。風が吹く限り、霊登ハルマン(女神)も休むことなく往来を繰り返す。霊登ハルマンも風の吹かない済州では生きられるはずもない。だからこそ今日も明日も数多くの人々が風に吹かれようとして済州に向かっている。

 

 

 

朱剛玄 

慶熙大学にて文学博士(民俗学)学位取得、高麗大学にて文学博士(文化財学)修了。済州大学碩座敎授(韓国学)、海洋文化研究院長、2012麗水国際博覧会海洋水産諮問委員   イオド島研究会海洋アカデミー院長、季刊『海洋と文化」編集主幹など。太平洋はもとより世界の海を視野に入れて研究の傍ら、済州大学院韓国学協同課程で教鞭をとっている。著書としては『済州紀行』『韓国文化の謎』『赤道の沈黙』『觀海記』など多数。

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