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焚火と人情の温もりを糧に海と格闘
済州女性文化遺跡 2   焚火場(プルトク)
2011.12.13 (火) 玄善允 editor@jejujapan.com
   
▲ 三陽洞プルトク      撮影: 金唯正

前回には、済州女性文化遺跡なるものを概観したうえで、そのうちでもかつては済州女性にとって最大の労苦であった水場を紹介したが、今回はそれに続いて、同じく生活文化の代表としての焚火場・プルトク(プルは火、トクは場を意味する標準韓国語のトの済州語)について記したい。これは海女たちの労働の合間の休息の場である。

済州と海女とは切り離せない。海女は日本と済州にしか存在せず、しかも、済州海女はその並はずれた技能、国内外を問わず遥か遠くまで出稼ぎに赴いた歴史、その労働の厳しさにめげずに生き抜いてきた済州女性の強靭さなどが相まって、済州独特の文化として今や世界中で話題になるほどである。したがってその詳細については、既に各種の紹介がなされており、ここで私がさらに言葉を費やす必要などないのだが、それら海女の労働の合間の安らぎの場所であった「プルトク」については、いまだそれほど知られていないようなので、紹介してみたい。 

先にも記したように、それは焚火場である。海岸の適当なところを選び、その周囲に岩を積んで風よけをして、その中心で火を焚く。もちろん、厳しい海中での仕事の合間に、冷えた体を温めるためである。昔は今のようなゴムの潜水着などなくて、素肌に白い木綿をまとうだけといった状態だったから、仕事の合間に何度も体を温めないと、とても冷たい海中の作業など続けられなかった。

   

▲ プルトクでの暖かいひと時    写真提供:海女博物館

女たちは潜水着や海女道具や間食その他を籠に入れて、そこに三々五々集まり、よもやま話をしながら着替えなど作業の準備を整えた後、次々と海に入っていく。そして作業が一段落すると収穫物を抱えてそこに戻り、火にあたりながら休息をとる。昼食や間食をとりもすれば、乳幼児がいる海女の場合は、兄や姉が負ぶってきた赤子に乳をやる。そして、もちろん、またしてもよもやま話の花を咲かせる。わが身の不幸を嘆くこともあれば、他人の噂話で憂さを晴らしたりもする。それにまた、新米は先輩たちから技術を学んだ。海女たちは海中で共同作業に勤しんだが、そればかりか、こうした寛ぎの時間も共に過ごし、互いに労り、学び合い、情報を交換するうちに、おのずから共同感情を育くみ、それによってまた、海女たちの秩序形成もなされた。といったわけで、それは海女たちにとって必要不可欠の場であった。

その形状は先にも述べたように、岩で囲まれた中心に焚火場があるという基本形はありながらも、細部は場所によってさまざまである。ほとんど自然の地形のままのものもあれば、すこぶる堅固に高く岩を積み上げ、その内部の岩壁伝いにベンチ状に岩を積んだりセメントなどで一段と高くして座りやすいようにしてあるものもある。高麗三別抄軍の入島を防ぐために海岸に丸く石垣を積んだのが始まりといったように済州の歴史に深く関連した謂れのあるプルトクもある。さらには、まるで小さい神堂に入ったような厳かな雰囲気のものもあって、女たちの休息場は祈りの場でもあったのだ、と彼女たちの内面に想像を巡らすように誘うものもある。

1970年代にゴムの潜水服が出てくると、プルトクの使用度が減った。それにまた、海女の数も急激に減少するばかりか、高齢化の趨勢がとどまることを知らない。今や、自分の子供に海女の仕事を継がせたいと思っている海女などいないし、自ら進んでその職を求める娘たちもいないのである。それほどに過酷な仕事なのである。さらには、現代版休息所が出現するようになった。温水シャワー完備の脱衣場兼寄り合い場が建築されて、女たちは風の脅威に身をさらすことなく、寛げるようになった、

その結果、かつてのプルトクはすっかり用なしになり、荒れるままに放置されて、よほどに注意しないとそれと分からなくなってしまったところも数多くある。しかしその一方で、そうした昔の厳しい生活の記憶を伝承するために、海女の組合や村全体が維持管理に努めているところもあれば、彼女たちが懸命に育てている鮑などの海洋資源を盗む不届き者を監視する場所といったように役目を変えていまだに現役のところもある。

こうした女性たちの生活との格闘がそれとしてわかるような博物館の展示は一般にあまり多くなさそうなのだが、さすがに海女の島済州!有名な海女博物館には、海女の生活の重要な一部として、「プルトク」のレプリカが説明付きで展示されている。

しかしながら、日程に追われてあちこち飛び回る慌ただしい観光客が、そうした博物館の数多くの展示物の片隅のプルトクのレプリカの目撃を契機に、海女たちの過去の苦しみ、悲しみ、そして悦びといったものに思いをはせるといったことが起こるようにも思えない。やはり、現場、つまり海岸の岩場にある現物の跡を訪ねて、広大で激しい風が吹き荒れる自然の中で、自ら風を体感しながらそれをみないと・・・

東海岸、とりわけ、海女の島として有名な牛島や済州市の少し西よりの高内里あたりの海岸では、石が積まれた自然プルトクから現代式海女脱衣所まで、海女たちの休息場の変遷を一目で見ることができる。因みにそのあたりには、前回紹介した海辺の水場である「水桶(ムルトン)」も多数あり、日常の生活と労働にまつわる女たちの格闘の跡を同時に見物、さらには想像を巡らせながら、海女の苦闘の疑似体験ができるだろう。


玄善允
1950年、済州島出身の在日朝鮮人を両親として大阪に生まれ、大阪大学及び大阪市立大学大学院にて仏語・仏文学を学び、日本の京阪神の諸大学にて仏語仏文学を講じる。フランス文学以外の著書・論文としては、在日論として『「在日」の言葉』その他があり、済州関連では「龍王宮再考―聖性を欠いた場における祈りと孤立した共同性」その他がある。済州大学校耽羅文化研究所特別研究員、大阪経済法科大学アジア研究所客員教授。

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