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▲ 写真提供:済州特別自治道 |
観光客たちが済州島で最初に出会うのは1950mの高さを誇る漢拏山である。漢拏山とは「銀河をつかめるほどに高い山」という意味である。済州人たちは「済州島が漢拏山であり、漢拏山が済州島だ。漢拏山は済州島の象徴だ」と語る。漢拏山は済州神話の発祥地であり、済州人の生死苦楽を司る神々が住んでいるところであり、済州人の信仰の場所である。今でも漢拏山は済州人にとって父母の山、霊山の位置を占めている。
漢拏山は金剛山、智異山と合わせて朝鮮の三大名山と呼ばれ、白頭山と並んで韓民族の二大聖山である。1970年に国立公園、2002年にユネスコ生物圏保全地域、2007年に世界自然遺産、2010年に世界ジオパークに指定され、漢拏山は今や、人類の永遠の自然遺産としての位置を占めるに至った。漢拏山がユネスコ自然分野三冠王になり、世界7大景観に選定されたのは、景観的、生態学的、地質学的価値がいかほどに優れているかを立証している。
漢拏山天然保護区域は頂上部と40余個のオルムとが独特な景観をなしている。頂上には白鹿潭と呼ばれる火口湖がある。その昔、神仙たちが白鹿に乗って水遊びに興じたという伝説に由来する名である。そして南西側の山腹には切り取られたような奇厳怪石が集まって神秘的な姿態を呈しているが、仏陀が説法していた霊山に似ているからと、霊室奇厳、あるいは五百羅漢と呼ばれもする。
済州島には亜熱帯、温帯、寒帯植物が鬱蒼と茂る。植物は高度にしたがってはっきりと垂直分布をなし、季節ごとに形と色彩を異にし、神秘感を醸し出す。600~1000mには コナラの森、800~1200mには赤四手の森、1200~1400mには モンゴリナラの森、1400m以上から頂上までには世界唯一のチョウセンシラベの森がある。そしてソンジャクチワッと呼ばれる1600高地一帯に広がる高山草原は季節ごとにその色彩を変え、済州島59種の特産植物のうち、33種は1700m以上の亜高山帯に育つ極地高山植物である。
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▲ 写真提供: (上)済州特別自治道 (下)閔庚振 |
漢拏山はなだらかに傾斜する楯状火山である。漢拏山は様々な種類の溶岩砕屑物でできており、頂上部は見る角度によって異なった形で現れる。白鹿潭噴火口の西側は粘性が高い粗面岩によってドーム形をしており、東側は粘性が低い租面玄武岩で構成されて柔らかく、南側には粗面岩ドームが分解し、切り削られたような絶壁が聳え立つ。漢拏山の下側には大きな渓谷があり、霊室では火山体の浸食と分解によって卓抜した景観をなしている。
漢拏山は見る位置と時間、天候と季節の変化、見る人の状況にしたがって、千態万象の顔を持ってきた。登山道がなかった時代には登るのが容易ではなく、頂上まで行こうとすれば2,3日を要した。しかし今では漢拏山中腹まで道路が開設されて済州のどこからでも1時間ほどで城板岳コース、観音寺コース、霊室コース、オリモクコース、トンネココースなどの登山道に到着できる。一日あれば、頂上まで上り下りが可能で、半日あれば、1700mウィッセオルムまで登って漢拏山の主要な絶景を満喫して戻ることができるようになった。
漢拏山に登りながら数知れない野花、群れて遊ぶノロ鹿、飛び回る名も知れない鳥、清々しい飲み水を提供してくれる泉水などに出会う。私たちはそれらを見て、聞いて、匂いを嗅ぎ、味わい、皮膚で感じて、心機一転を図ることができる。以上のように、人々は漢拏山に登ることで一挙六得、改めて言えば、眼、耳、鼻、舌、身、意などを同時に満足させることができる。そして漢拏山は時間によって季節によって、さらには天候によって、独特な美景を醸し出すので、漢拏山に登るたびに、私たちはいつかまた漢拏山に再び登りたい気になるのである。
だからと言って漢拏山は決して組みしやすい山ではない。名声通りに高く、大きく、広くて、登攀は決して容易ではなく、雨季や積雪期に遭難事故が時折発生する。とりわけ、1936年に当時の京城帝大の山岳部学生だった前川智春が下山途中で雪崩の犠牲になった事件が有名である。だからこそ、ヒマラヤ遠征を計画する韓国の山岳人たちは必ず漢拏山で積雪期訓練をする。そして一般人は漢拏山登山で心身を鍛錬し、浩然の気を養うのである。
漢拏山は済州島の中心ににょっきりと聳え立ち、時には厳格な父のように、時には慈愛に満ちた母のように済州人を見守ってくれている。そしてモンゴルによって支配されていた時期、日本に支配されていた時期、4・3事件などの歴史を見守った証人として、今でも随所に残る傷跡を通じて、韓民族の歴史を語っている。今後は人類の世界遺産として、東北アジアの歴史を記録してくれることであろう。
尹龍澤(ユン・ヨンテク)
済州大学哲學科 敎授。耽羅文化硏究所 所長。済州道 西帰浦市 江汀で生まれ育った。東国大学にて哲学博士学位取得。 済州島の文化・環境・平和運動に参加する傍ら、関連文章の執筆に勤しんでいる。代表的な著書として『済州島の新舊間 風俗硏究』がある。 |