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女たちの水との格闘と悦びの跡
済州女性文化遺跡探訪、その1
2011.10.04 (火) 玄善允 editor@jejujapan.com

『済州女性文化遺跡100』(済州発展研究院、2004年刊)というカラー写真入りの本がある。済州女性に関する研究を始めたばかりの2年ほど前に偶然に入手し、その耳慣れない名称と風変わりな写真に好奇心を刺激されて読んでいるうちに是非とも現場を訪れてみたいという気になった。それ以来、その本で紹介されている遺跡の半分余りに足を運んでみた。知人たちを案内がてら、三度四度と通ったところもある。残り半分も、楽しみを先に残すために少しづつじっくり見て回るつもりでいる。

   
▲ 上 済州市一徒2洞、山地川に位置する湧泉水 下 済州市朝天邑新村里クンムル(新村埠頭近くに位置する湧泉水は村の住民たちの沐浴場として活用されている。 撮影:趙啓垣
さて、その遺跡なるものの内容は実に多様なのだが、それを私なりに分類すると、生活の場(水場、焚火場、塩田など)、祈りの場(堂)、戦いの場(城など)、神話の場、女の顕彰の場(義女あるいは列女の碑)、その他、となる。

自然であれ伝統であれ文化であれ、なんだって貪欲に観光コンテンツとして活用いようとする傾向が甚だしく、「観光立国」を目指す済州でも当然のごとくその種の開発は実に活発なのだが、こうした女性の習俗や文化に対しては、いまだ十分な関心が向けられているようには思えない。たとえば、その種の紹介が眼目であるはずの民俗村などでもあまり顧みられていないし、済州現地でも若い世代にはあまり知られていないものが多々ある。 

そこで、いまだ浅学の身で荷が重すぎることは重々承知しながらも、その一端なりとも紹介し、知られざる済州の人々の生活の核に、一歩でも踏み込む導きになればと思う。

先ず第一回目としては、なんといっても水場だろう。水の確保はかつての済州女性にとって最大の労苦であった。水(海)に囲まれた島なのに、済州は実は水の確保に難渋してきた。もっとも、それは決して済州だけのことでなく、島というものの宿命なのだろうが、なんといっても済州島は火山島という固有の事情もあって、より深刻な様相を呈していた。火山灰に覆われたこの島では、雨水はただちにに地中にしみこんでしまい、滞留することがなく、川と呼ばれるところがたくさんあっても、その川にはほとんど年中、水がない。

では水をどのように確保したのか。二つの方法があった。奉天水と言って、雨水をためて用いる。しかし既に述べたように、火山灰地であり長期にわたって溜まる水の量は知れている。そこで、各家では雨水が庭の木の枝や葉を伝って甕に落ちるように工夫するといったように涙ぐましい努力をしていた。ところが、その程度の水で生活用水全般が賄えるわけがない。むしろもう一つの水源のほうがはるかに重要である。湧泉水といって、いったん地中に沈み込んだ雨水が地中で濾過されて湧出するところがある。その水を家に運んできて飲用その他の生活用水として利用する。また、野菜や服など水場に持っていって洗ったり、沐浴したり(ただし、多くても年にほんの数回)、牛馬に水を飲ませる、といったように生活の諸事万端にわたって、その水が生活と命を支えた。

そしてそうした水の確保はもっぱら女たちの仕事だった。女たちは幼い頃から、そうした水場に日参しなくてはならなかった。ひどい場合は片道1時間を優に超える距離の、それも凸凹の山道を、甕を入れた籠を背負って通った。そしてその貴重な水を、用途にしたがって区分けして使う工夫をするなど、愛おしんだ。さらには、水場での作業の傍らのおしゃべりで、日常の憂さを晴らし、情報交換に勤しんだ。一家の大小の行事の際には、村人が大量の水を運んできてくれるなど、相互扶助の一つでもあった。というわけで、水にまつわる女たちの労苦と裏腹の悦び、共同感情が済州を象徴する日常的な景観かつ心性であった。

1970年代になって全島に上下水道が設置されて、そうした過酷な労働から女たちはようやく解放された。しかし、そうした先人たちの労苦を偲ぶために、現在でもそうした水場の一部は保存され、多様に活用されている。野菜を洗ったり、子供や大人の水遊びの場所だったり、沐浴場であったり、地域の人々の憩いの場であり、子供たちの歴史体験の場になっている。

その中でもとりわけ有名なのが済州市の山地川である。一時は川に蓋をしてその上に住居などの建築物が建てられていたが、その蓋としての構造物の耐久年度が越えそうになったので、勇断をふるって建物と蓋を解体撤去し、昔の川の姿を復元した。川辺には散策路が整備され、水場にはプール状の構造物も確保され、夏になると子供たちに大人も交じって歓声を上げて、一時の涼感を楽しむ姿が見られ、済州の夏の風物詩となっている。李明博大統領が、今や観光名所そして市民の寛ぎの場所として有名になったソウル清渓川の復元工事にあたって、そのアイデアを提供したとも言われている。

それ以外にも随所に多様な水場が保存されている。特に海岸や海中に、直径5m~10 mほどの丸い筒状の構造物があり、その中を覗くと水が湧きだしている。それが昔は、目や皮膚病に良い薬水とされていた。韓水里、貴徳2里、梨湖海水浴場、朝天邑新村里のクンムル(豊富な水の意)などで容易に見物できる。変わり種としては、上下水道が設置されるまでの中間措置として、村に一箇所だけの簡易共同水道が活躍していた時期もあり、その設備が保存されてもいる(召吉里)。そうしたかつての多様な水場を見ると、済州の女たちの水との戦いの変遷が偲ばれる。女と水、生命の源泉の姿の一端なりとも目にすれば、済州の歴史と景観と、それを見る人の人生の歴史が思わぬ共鳴をして、深い感慨をもたらすに違いない。

 
玄善允(ひょん・そにゅん)
1950年、済州島出身の在日朝鮮人を両親として大阪に生まれ、大阪大学及び大阪市立大学大学院にて仏語・仏文学を学び、日本の京阪神の諸大学にて仏語仏文学を講じる。フランス文学以外の著書・論文としては、在日論として『「在日」の言葉』その他があり、済州関連では「龍王宮再考―聖性を欠いた場における祈りと孤立した共同性」その他がある。済州大学校耽羅文化研究所特別研究員、大阪経済法科大学アジア研究所客員教授。

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