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悲運の天才画家、 李仲燮の生と芸術
2011.12.07 (水) 田殷子 contributor@jejujapan.com

 芸 術 空 間 

 

   
▲ 作品 「旅立つ家族)(Oil on Paper)     写真提供:李仲燮美術館
 
李仲燮は1916年9月16日、平安南道で富農の末息子として生まれた。5歳の頃には既に、リンゴを与えると、先ずはその絵を描いてから食べたというほどに絵を描くのを好んだ。1929年14歳で五山高等普通学校に入学して美術の指導を受けた後、1935年東京帝国美術学校西洋画科に入学したが1年限りで中退し、文化学院に転校した。
 
文化学院在学中であった1938年には日本の自由美術協会の展覧会に5点を出品し入選し、協会賞を受賞した。五山学校時代に任用連先生から芸術の基礎を学んだ彼は、日本で自由主義的な思想をもった津田正周先生から指導を受けることによって、より個性的な作品を描くようになった。
 
1943年には美術創作家協会第7回絵画展に「望月」3部作を出品し太陽賞を受賞した。その際に、辛辣な評価と噂されていた朝日新聞でも「際立つローカリティ」と李仲燮を讃えた。30歳になった年に、文化学院時代から交際していた山本方子が元山に訪ねてきて、5月に結婚式を挙げた。妻に李南海という韓国名をつけた。
 
   

▲ 作品「道」(Oil on Paper)

写真提供:李仲燮美術館

1946年元山師範学校美術教師として赴任したが一週間で辞職し、鶏を育て、鶏を描くことに熱中した。長男が生まれたがジフテリアで死亡した。その時、死んだ息子のために、天桃などの絵を描き、亡骸と一緒に埋めた。
 
妻と二人の息子を連れて、避難の旅に出たのは、1950年12月10日。それまでに描いた作品は母に預け、「僕だと思ってしっかりと保管してください」と告げて、避難の旅に出たのである。
 
西帰浦に来たのは1951年1月ごろ、LSTに乗って和順港で降りて、西帰浦に向かって歩く間、雪が激しく吹きつけると農家の牛馬小屋で吹雪を避けた。一同が西帰浦に到着すると、村の里長だった故宋泰株と金順福の夫婦はその一家に1•4坪ほどの部屋をひとつ貸し与えた。その疎開時代に李仲燮の家族は食事の間に合わせに、野菜を育てたり海でカニをとってきて、おかずにした。
 
西帰浦で制作されたものとして知られている「西帰浦の幻想」は絵の主題や素材から見れば、「よいところ」としての西帰浦だということが分かる。「よいところ」としての西帰浦は柑橘類と島を中心に考えてみることができる。李仲燮の西帰浦時代はわずか11か月にすぎない短い時間であるにも関わらず、数点の代表作を残している。
 
とりわけ李仲燮の西帰浦時代はカニとの関連が深い。お腹がすき、カニをたくさん獲って食べてみると、それが申し訳なく思われ、カニを描くようになったという画家の言葉はすなわち、カニを観察する時間的余裕が相対的に多くなったことを意味する。子供たちと一緒に遊ぶカニの姿は、幸福な家族の姿を表現するのに最も活力のある素材になった。李仲燮が家族への愛を今まで以上に深く表現することができたのは、まさしく「最後の幸福な時間」と言える西帰浦時代があったからこそである。
 
1951年12月、家族と一緒に済州を去って釜山に向かった。プサンでタバコを包む銀紙を集め、銀紙画を描き始めた。岳父の死去の知らせと生活苦のせいで、夫人と子供たちを先に日本に送った。1953年玄界灘を越えて夢にまで見た家族と東京で再会したが、2週間後には韓国に戻って制作に没頭し、ソウルの美都波画廊で個展を開いた。しかし出品した銀紙画が春画だとして撤去されると、李仲燮は失意のどん底に落ち込んでしまった。個展は成功し、絵も半分以上売れたのだが、毎日集まってくる人々と酒を飲んで過ごしたあげく全くの無一文になってしまった。家族との再会の夢までも水泡に帰してしまい、すっかり疲れ果ててしまった李仲燮は拒食症の症状を呈し始めた。
 
その頃、ニューヨーク近代美術館では李仲燮の銀紙画3点が研究保存対象に決定されて、李仲燮芸術評価の転期を迎えた。しかし、栄養失調と肝炎で、1956年9月6日、だれも看取る者がないままに李仲燮は息を引き取った。
 
李仲燮逝去の翌年、彫刻家故車根鎬による墓碑が建てられた。1960年釜山の知友たちが所蔵していた作品で最初の遺作展が開かれた。1972年ソウル現代花朗(現在のギャラリー現代)にて17周追慕展が開かれ、大盛況だった。以後、李仲燮をテーマにした映画、演劇などが一般に広く上映され、その名声が広がった。初等学校美術教科書と中学校国語教科書にも掲載され、さまざまな人々によって李仲燮の評伝が刊行された。李仲燮美術館は2004年1種美術館として登録され、2009年李仲燮原画作品を2点購入した。今や李仲燮美術館は、庭が美しく、疎開時代に李仲燮が居住していたそのままの草家と共に、人々に愛される韓国の名所になっている。
 
 
作家プロフィル
 
大郷李仲燮
   
 
1916~1956年譜
1916年平安南道出生
1940年日本文化学院美術科卒業
1943年日本美術創作家協会太陽賞受賞
1955年個展開催(美都波画廊)、ニューヨーク近代美術館 (MoMA)、銀紙画3点所蔵決定
1956年栄養失調と肝炎のために死亡
*  韓国で「天才画家」と呼ばれる。
 

 

 田殷子(李仲燮美術館キュレ?タ? )    contributor@jejujapan.com
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