Update 2012.12.12 水 18:33
トップページ お気に入り
全記事一覧
首页 > 新聞 > 観光 > 済州の発見 | History
柑橘(ミカン)の島
済州の名産果実たる柑橘も、かつては人々の涙にまみれていた
2011.12.07 (水) 朱剛玄 contributor@jejujapan.com

  済州島再発見 

 涙の果実

   
▲ 撮影 : 朱剛玄

 韓国本土では育たない柑橘類が済州ではごくありふれている。しかし、古代あるいは中世社会では柑橘類は王様や権力者だけが味わえる黄金の果実だった。温帯に属する韓半島、夏の暑さもあるが甚だしい寒さも続くという重層的な気候帯において、亜熱帯風の緑色葉緑植物が産み出す柑橘類の象徴性は、その希少価値をますます掻き立てた。済州という遥か遠い孤島という地理的な辺境性も重なり、この丸い果実の周囲には普通の人は近寄れないアウラを醸し出した。韓国で産出されるリンゴ、梨、柿、ナツメ、栗などの五色果実がもたらす日常の風景と異なり、柑橘類は非日常の風景を演出した。

柑橘類に対する陸地(本土)の権力者たちの欲望は、そのまま済州の人々に対する搾取に直結した。済州の民衆は毎年、柑橘類を懸命に育てて果実を実らせねばならず、中央権力は柑橘類の貢納を受けて、それを適切に分配する装置を通じて、その果実にまつわる権力のアウラを演出してみせた。柑橘類が生産され運送され分配されるといった一連の過程は中央権力によって管理統制され、そうした食物の連鎖の下層部で済州の民衆は踏みしだかれ呻吟していた。
韓半島の本土と済州の間には、同じ民族とはいっても、その民族内部におけるプランテーションシステムが千年以上も続いてきた。1894年になってようやく柑橘進上が廃止されたことは、実に驚くべきことである。つまり、美しい柑橘類には済州の人々の涙が沁みこんでおり、柑橘類の歴史を理解することこそが、本土と済州の関係を理解する近道なのである。

柑橘類の進上は千年にわたる風習
柑橘類は国家的な次元で税金として集められていった。国家的統制の対象であり、果樹園の柑橘類の木の数を一つ一つ数えるほどに徹底的に管理監督された。それを立証する資料は枚挙の暇がないほどである。果実税制度の導入、果実を盗む不法を監督するための官吏の派遣、済州柑橘類の全羅道への移植など数々の複雑な手立てが講じられた。

   
▲ 耽羅巡歴図、橘林風楽

 李衡祥の『耽羅巡歴図』にも柑橘封進の絵がある。各種の柑橘類に加えて、漢方薬の材料として使用された柑橘類の皮を封進している。柑橘類の進上は9月から10日ごとに行われた。進上のために別防・水山・西帰・東海・明月防護所に果樹園を設置し、そこを守護する兵士によって管理されていた。その後、果樹園は済州牧22個所、旌義縣7箇所、大静縣6箇所に増設され、肅宗朝時代には42箇所にものぼった。それら果樹園での収穫量では封進の割り当て数量を満たすには大いに不足した。そこで官庁では民間の柑橘樹をひとつひとつ調査して、それまでをも管理した。果実をひとつひとつ数えて税に充てるといったように、恥知らず極まりない手法にまで及んだのである。
よく言えば緻密な税徴収システム、悪く言えば酷い搾取システムだった。柑橘類が実を結べばそれを栽培している民家に官吏が訪れ、果実のひとつひとつに札をつけて、ひとつでも足りなければ厳しい処罰を下した。風や雨で果実が傷ついたり、カラスや雀が実をついばめば、その家の主が責任を負って代納しなくてはならなかった。害虫や風で実が落ちてしまい、割り当て数を満たすことができない場合にも、所有者にその責任を追及したので、柑橘栽培はとうてい人間の仕事ではありえなかった。民衆たちは柑橘類の栽培をまるで毒薬のように見做し、植え増ししようなどとはしなかった。柑橘類は苦痛をもたらす木だと、熱湯をかけて枯死させるような場合も数知れなかった。
艱難辛苦の果てに柑橘類が漢陽(都)に到着すると、大きな饗宴が行われた。宗廟で祭を執り行い、それぞれの殿閣と近臣に分け与えた。柑橘類が王宮に届いたことを祝うために、成均館とソウルの東西南中の4箇所の学校の儒生に柑製、あるいは黃柑製という特別な試験を競わせて、柑橘類を褒章とした。といったように、ソウルでの饗宴の裏面には済州の人々の血と涙が沁みこんでいた。そうした条件下で、民衆による柑橘類の生産量増大と原始的蓄積などありえなかった。惨く厳しかった進上制度は、開明政治の光が射し、東学農民戦争が勃発した1894年に至ってようやく廃止された。

死につつある大学木( 訳注:ミカンの木のおかげで子供を大学にやる余裕ができた。済州農民にとってのミカンの木のありがたさを表す言葉)
20世紀に入って、温州ミカンが登場する。それによって柑橘類の大衆的な普及が始まる。温州ミカンは1911年フランス出身の神父タケが日本にいた神父から15株を受け取り西帰浦に植えたのが端緒であった。1913年には西帰浦市に1haの温州ミカンの果樹園が峯という日本人によって始められた(現在の済州農園)。それによって従来の土着の品種が衰退した代わりに、柑橘の大衆化時代が開かれた。1965年から増植ブームが到来し、植裁熱が最高潮に達し、1970年代になると毎年282万株が植裁された。
オレンジに代表される輸入柑橘類が押し寄せる今日、ミカン栽培はもはや潤沢な富の源泉ではなくなった。新しい道を模索する努力が次第にその成果を現し始めている。過去における進上品調達のために民族内部の過度なプランテーションが生み出した結果とはいえ、済州には伝統柑橘類の種子が残っている。それらの種子を基盤にして、多様な種類を生み出し、新しい商品を作り出そうとする努力の成果が次第に日の目をみるようになってきている。

朱剛玄
慶熙大学にて文学博士(民俗学)学位取得、高麗大学にて文学博士(文化財学)修了
済州大学碩座敎授(韓国学)、海洋文化研究院長、2012麗水国際博覧会海洋水産諮問委員
イオド島研究会海洋アカデミー院長、季刊『海洋と文化」編集主幹など。
著書としては『済州紀行』『韓国文化の謎』『赤道の沈黙』『觀海記』など多数。

     関連記事
· 豚肉の島· 風の島
· 1万8千の神々と共存する島· 黒潮の島
ⓒ 済州ウィークリー(http://www.jejujapan.com) 記事の無断転載を禁止します | 版.聲明  
Most Popular
Photo
「在日済州人、彼らのお蔭で今日の済州があるんですよ」
兪弘濬『済州文化の深淵を込めました』
〖WCC〗世界の環境リーダー、人類に問いかけたメッセージは?
〖WCCあれこれ〗済州の生命(いのち)の森、「コッチャワル」
[청소년보호정책]
Mail to editor@jejujapan.com   Tel. +82-64-724-7776   Fax.+82-64-724-7796   청소년보호정책 : 고은영
登録番号 : Jeju Da 01093   登録時間 : 2008年 11月20日   発行人 : 宋姃姬
Copyright © 2009 jejujapan.com 掲載の記事・写真・図表など無断転載を禁止します。すべての内容は韓国の著作権法により保護されています。