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童話と伝統文化による共感で乗り越える 差別の壁(済州・大阪・日本)
高貞子(コジョンジャ)さん(大阪生まれ、童話作家、韓国の伝統文化の空間タルマジ運営)
2011.12.05 (月) 高正子 contributor@jejujapan.com

       マンナメ(出会いの)広場     
* 済州島出身、あるいはその後裔の人たちへのインタビュー

 

   
▲ 韓国伝統茶房「タルマジ(月見)」代表 高貞子さん        撮影:高正子

JR桃谷駅から桃谷商店街を通り抜け、疎開道路沿いに南へ50mばかり行くと「高橋」という焼肉店がある。52年前に母が商店街のなかで始めた小さな店を娘が引き継ぎ現在の位置に新築した。昨年、その3階に韓国の伝統家屋を模して韓国伝統芸能の公演や地域出身の落語家の寄席などが催されている。その伝統文化の空間「タルマジ(月見)」と焼き肉店二代目の主である高貞子さんにインタビューした。話に耳を傾けてみよう。

父は13歳(1931年)の時、済州島から三重の飛行機部品工場に工員として渡ってきた。その後、琵琶湖畔の工場、大阪のガラス工場、西成の鉄工所などと転々として働いた。他方、母も祖母と済州島から大阪にきていた。そんな二人が仲人の紹介で縁を結び、西成で新婚生活を始めた。しかし、その新居は空襲によって焼けた。そこで、父の従兄弟が綿屋を営んでいた杭全町百済に祖母ともども移り住んだ。そこは、古来朝鮮半島からの渡来人ゆかりの土地である。そしてそこで戦後になって、娘が生まれた。高貞子さんである。
 

“日本人と朝鮮人が入り交じって暮らす” 

戦後の混乱期に父は大阪で長靴を仕入れ、日本全国を行商して歩いた。当時、地方では長靴が必需品であったので、よく売れた。また、地方に米の買出しに行き、大阪の闇市に卸した。闇市に対する警察の手入れが厳しくなると、濁り酒(ドブロク)をつくったり飴をつくって鉄と交換して売ったりもした。終戦直後、コリアンたちの主な職業は密造酒、養豚、飴つくり、古物商などに限られていたのである。

両親は生きるために何だって厭わず懸命に働いて貯めたお金を元手に鶴橋の高架下で長靴屋を開き、自宅も鶴橋界隈の「朝鮮部落」に移った。路地裏に長屋が並び、水道もトイレも共同で、ほとんどが朝鮮人だったが、日本人も混じっていた。朝鮮人と日本人が共に肩寄せ合って暮らしていた。

祖母ももちろん働いていた。チマ・チョゴリ作りやマトメと呼ばれる紳士服関係の内職を行っていた。祖母はそんな仕事仲間と界隈でよく遊んだ。新婚の家に押しかけ、二人を冷やかして遊ぶ「コルグン」や、地面にゴザを引いて、歌い踊ったりもした。また、そこでは、なんだって開けっぴろげで、プライバシーなどという高級な理屈は通用しなかった。夫婦喧嘩なども筒抜けどころか、路地に出てきて大声でやりあっていた。そんな祖母を含めた「朝鮮部落」のあっけらかんとした情景の記憶が、高さん作のミュージカル『豆もやし』の原風景なのである。


“自分もここにいてもいいんや”

やがて高さんは地域の公立の小学校に通い始めた。秋の運動会の日、祖母が真っ白なチマ・チョゴリにカリマ(髪を真ん中に分ける)の髪に、ピニョ(簪)を付けて学校に現れた。すると、次の日から、それまで一緒に登下校していた友達がこなくなり、「朝鮮人や」「朝鮮人豚がブーブー鳴いている」といじめが始まった。当時は社会ばかりか公立学校においても民族差別は酷く、それに加担する教員も少なくなかった。高さんの場合、特に1、2年の担任がそうだったが、幸いにも、3年の時に担任が代わった。いつも和服をまとったその女教師はある時、生徒たちに得意芸を披露するように求めた。高さんは杭全町百済にいた頃に近所の日本人のおばあさんから教わった「みかんの花」を歌った。先生が「とても上手だ」と褒めてくれた。この時、彼女は「自分もここにいてもいいんや」と、自分の居場所を見つけることができたような気持ちになった。


“富士山が好きで、お寿司がすきなのに、日本人ではないの”

そんな高さんなのに、中学校に入って改めて、民族差別の洗礼を受けることになる。勉強仲間の友人3人グループの一人の家に行くと、その友人の弟が出てきて「おまえ、朝鮮人やろ。家へ帰れ」と言った。ショックを受けた高さんは、在日と思われるもう一人の友人にその話をしたところ、「そうなん」という言葉しか返ってこなかった。高さんはより一層のショックを受け、それ以来「警戒して」友達を作らなかった。「富士山が好きで、お寿司が好きで、日本が好き」なのに「日本に生まれたけど、日本人ではない」と悩んだ。当時の彼女は「朝鮮人は知性もなく、教養もない人」たちだと思いこんでいた。高校を卒業すると、昼間は事務員として働き、夜には短大へ通い始めて朝鮮人の学生グループに出会った。「朝鮮の歴史や在日の歴史」を学び、初めて「惨めったらしい在日」ばかりではなく、「解放のために闘った人たち」がいたことを知った。さらには、演劇や脚本を書き始めた。その成果の一つが父から聞いた済州島の民話に基づく作品『ハラボジのタンベトン』である。「タンベトン(煙管)をトントン叩きながら、話が100も200も出てくる」話である。「素晴らしい伝統文化そしてそれに対する感動を日本人と共有することで、国境を越え、差別をなくす」と話す高さん。私も元気をいっぱいもらい、清々しい気分で家路についた。


   
▲ 焼肉亭 高橋 、      韓国伝統茶房「タルマジ」

 

取材・文     高正子

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